追想:イタリア青年とキャンディキャンディを歌う

ネットに押されて伸び悩んでいるようだけど、相変わらず海外で日本アニメの人気は高いようだ。

日本のアニメーションが他国のものとは区別され、ひとつのジャンルとして確固たる地位を築きはじめてからほぼ10年。やっと不動のものとして認知された感がある。会場に来ていたファンは日本アニメについて語る。
 「日本のアニメに比べたら、アメリカのアニメなんてなんでもない。全然違うんだよ。日本のアニメには哲学があるし、キャラクターも深い」と、トライガンの赤いコートのコスプレでポーズを決める若者は情熱をぶつけた。


トライガン・・・・・・ってなに。

ともあれ、この手の話を聞くといつも、ある個人的な旅行体験を思い出す。

5年ほど前のこと。僕と嫁さんは、ドイツからイタリアへ向かう夜行列車の中で、イタリア人の大学生2人と同室になった。英語で世間話をしていたら、「子供のころ日本のアニメをよく見た」という話になり、聞くとキャンディキャンディなど、僕が子供のころの懐かしアニメのことだった。


当時すでにポケモンが欧米でブームを巻き起こしていたので、日本のアニメが海外で見られていることは知っていたのだが、ずっと昔から古いアニメが海外で放映され続けていたことはこの時知った。

二人がやや興奮気味にうれしそうに、あれもこれもと話しだすのを聞いていると、もうタイトルは忘れたけど、やれグレンダイザーだとかラスカルとかハイジとか、ともかくやたらと沢山名前があがった。この二人がいわゆるOTAKUなのかと思って聞いてみたところ、「僕らは普通。同世代の連中は、大抵全部見てるはず」と言うのでさらに驚いた。

いま思うことは、ポケモンや最近ではNARUTO(知らないけど)その他のアニメが相次いでブームになるのは、この二人のように幼少期から大量の日本式アニメに接してきた人たちが20代、30代になってきた時期と、きっと関係があるのだろうということ。ブームの下地が、長い時間をかけて形成されてきたのではないだろうか。


日本のアニメの特徴は、ディズニーなどの大資本のアニメと違い、とにかく低予算で製作しそれゆえ多様な作家性が発揮され得る、ということらしい。低予算というだけで当時の製作現場の雰囲気が想像できる。大金をかせげるわけでもなく、ただそれが好きだという情熱ひとつで大量の良質なアニメが製作されたのだろう。現在も同じかもしれない。それが、日本人も気づかないうちに海外の家庭や子供の世界に深く静かに浸透していったのだ。

最近の日本アニメの攻勢を見て、大規模な商機と捉えたり外交戦略のネタにするのもいい。しかしそれは、一朝一夕で盛り上がったものではないだろう。その立役者は、日本アニメの現場で長らく過酷な製作に携わってきた、下請けも含む数多くの人々であることを認識するべきだと思う。


夜中の寝台車で、いつしかイタリア人と「キャンディキャンディ」の主題歌を合唱していた。メロディーは同じだけど、こちらは日本語、向こうはイタリア語。でも最後の、「なきべそなんて、さよなら、ね」の後はどちらも、「キャンディキャンディ!」

大笑いした。

大統領や首相が「われわれは民主主義という共通の価値観をもっていて・・・」などと言うけれど、ある子供アニメの主題歌を一緒に歌えるということも、間違いなくある種の大事な価値観を共有している。個々人の関係を考えれば、むしろこちらのほうが重要じゃないか。

この大事業を、きっと気づかずに成し遂げたアニメ製作技術者たちは、もっとリスペクトされてしかるべきではなかろうか。