北朝鮮から軍靴の音を聞きとれない怖さ

前のエントリーから続く。
朝日新聞はじめマスコミは反体制の振りをしているけれど、その本性は体制派だ、という話。

思い当たる節がある。北朝鮮のミサイル発射に対する政府の強硬姿勢。これについては全ての新聞がほぼ同じ論調で、積極的か消極的かの違いはあれどその姿勢を支持しているようだ。社民・共産までも追認の姿勢をとっている。そして一人、小沢一郎だけが、「経済制裁はよっぽど慎重になるべきだ」と言った。こうなると、上の発言中の「だから国を誤るんです」がなにほどかの重量を感じさせてくる。


僕も、よっぽど慎重になるべきだと思う。もっとも、慎重になるというのは、「できるだけ争いを避けたいから相変わらず対話重視で」というのとは違う。小沢一郎はこれを言ったから、「与党の対立軸的発言」に見えてしまった。そうではなく、ことここに至っては経済制裁も止む無しとは思うが、さてそれがどのような結果を招くかということについて、余りにもマスコミその他で議論されなさすぎるのではないか。そのことに強い恐れを感じる。

端的に言えば、あの体制の国家に対して国際社会が経済制裁をするということは、もう戦争が見えてきているはずなのである。イラクやアフガンといった遠いところではなく、もうほんのすぐそこだ。「国連決議が出れば義はわれにあり」といったところで、それを契機として戦争になれば容赦なく誰かが死ぬ。北朝鮮の兵卒や市民は間違いない。さらに米兵かも知れない、ソウル市民かも知れない、そして、日本在住の日本人かも知れない。なぜそういった予測が、つまり経済制裁北朝鮮暴発となったときの具体的な被害の想定の議論がなされないのだろう。


みんながそういうリスクを知って、ああそういう悲惨な状況になりえるけれども、それでももはや経済制裁していくしかない、と思っているのといないのとの違いは、つまり覚悟があるかないかの違いだ。
この覚悟なくして暴発が現実のものになった場合、つまり北朝鮮の暴発事態を事前にイメージできていない状態で戦争になった場合、この日本国の反応はもう十分予測できる。ひとことで言えばヒステリックな反応。最近の狂牛病その他のさまざまな突発事態が起こったときに、すでにその萌芽が見えている。

現時点でも野党の反応やリベラル系新聞の同調に見られるような、翼賛的なムードの形成が強化されるだろう。ヒステリックでワイドショー的な世論に押されて、憲法や有事三法や日米安保やもろもろのシビリアンコントロールの枠から、「超法規的措置」が必ず漏れでてくる。北朝鮮はすぐに壊滅できても、その後の日本にとってそれはきっと不幸なことだ。


そうならないためには、今この時点で、首相や少なくとも官房長官は、こういった覚悟を国民に示すべきだ。それが外交戦略として望ましくないというのであっても、少なくともマスコミは、今回の選択がもたらすリスク事態を幅広く詳細に議論すべきだ。国民は、そのリスクを取るという気構えを持てて初めて、政府を後押しすべきだ。今たまたま、相変わらず平和ボケの世論による支持率が高い保守系プリンスが、いけいけドンドンで進めて、なんにも考えてなかったような首相がそのときになって絶叫するようでは、きっとまた、「国を誤る」。